「サッカー界の“宝石”久保」のストーリーだと聞くと現在誰もが久保建英をイメージするだろう。しかしこれから取り上げるのは2000年代を代表するストライカー“ドラゴン”久保竜彦である。破天荒で豪快。圧巻のバネと得点力。「宝石」とさえ呼ばれた特異な才能は、プロとしてどのように評価され、どのように評価されなかったのか。「単独で欧州や南米の守備陣を破壊しうる人材」。そんな彼を彷彿とさせる新たな日本を代表するストライカーの出現に期待しつつ、久保竜彦の“破天荒さ”と“凄み”を数々の証言を交えて振り返る。
(本記事は、9月20日に『REAL SPORTS』で掲載された記事に一部、加筆・修正を行って掲載しています) 「2002年? その時は地球が滅亡するらしいから」 久保竜彦を書くと決まった時、何から書き出すか、判断に迷った。彼のプレーの素晴らしさか、それとも破天荒な生活か。 ただ、もう久保竜彦の存在自体が歴史的なものでもある。なので、彼の名言の数々をまずはご紹介したい。古くからのサンフレッチェ広島サポーターや久保ファンの方々にはご承知だろうが、若いサッカーファンはご存知ないと思うので。 1996年、初めてのインタビュー。 「中学の時から、サッカーが楽しくなった。遠征とか、バスに乗っていくのが楽しいから」 サッカーのプレーそのものでは、ないんかい(苦笑)。 「高校の時、初めてサッカーの知識とか、教えてもらった。すごかった」 「何がすごかった?」 「よー、わからん」 ……はい? 「レイソル? 黄色のユニフォームですかね?」 うーん……。 「最初に出たのは(清水)エスパルス戦だった。広島と違って、なんか、怖かった」 いやいや、怖いの意味がわからない。 当時は2002年FIFAワールドカップが日本で開催されるかどうかという話題でもちきりだったこともあり、その話を振ってみた。その答えが、 「2002年? その時は地球が滅亡するらしいから」 「えっ、どういうこと?」 「1999年に地球はなくなるんでしょ」 「……もしかして、ノストラダムスの大予言?」 「そうっす」 瞳はまったく笑っていなかった。あと4年で地球が滅亡するという予言に、おびえていた。なので、当時のある説を教えてあげた。「最近の研究では2012年らしいよ」 「そうなんですか! よかった」 当時は坊主頭ではなく、パーマがかかった髪を揺さぶるように、久保竜彦は笑った。 「試合に出始めているけれど、すごいなって思った選手は?」 その質問に、彼はずーっと、無言。必死で考えて、考えて。言葉のない時間が1分以上も続いたあとで、 「あんまり、知らないんです。カズ(三浦知良)さん、レオナルド、ストイコ*、ゴン(中山雅史)さん、くらいしか。あ、ジュビロの8番の人、上手いですね」 ブラジル代表主将のドゥンガのことを、彼は知らなかった。 1997年、レギュラーとして試合に出始めた頃。当時、ステージ優勝を争っていた横浜フリューゲルス戦で森保一がセザール・サンパイオと激突した。 「ポイチさんに何しとるんや」 森保を師と仰ぐ久保は、サンパイオに対して激怒。彼をピッチ上で追い回し、警告を受けた。 もちろん、褒められた行為ではない。しかし、久保の場合はどこか、ユーモラス。 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191012-00010000-realspo-socc 10/12(土) 13:10配信 (出典 Youtube) スーパーシュート~久保竜彦~久保で抜いてた時期あったな
>>5 え?
まったくの無名選手に対し、記者会見にて敵将がこれほどの言葉を自ら贈るとは、前代未聞の出来事。 ベルマーレ平塚(現・湘南ベルマーレ)時代に名良橋晃や岩本輝雄など、無名選手を次々に発掘して育てた「育成の名手」の言葉には、重みがあった。
久保が広島でレギュラーをつかんだ1998年途中、広島に加入した元日本代表FWの山口敏弘は、見た瞬間から彼の中に内包されている巨大なものを認めた。 ガンバ大阪時代はストライカーとしても名を馳せた男だったが、彼は広島で久保竜彦のためにパスを嬉々として出し続けるパサーへと変貌している。 「とにかく身体能力は抜群だし、ゴール前で何をやってくるか、想像もつかない。柳沢敦や高原直泰といった若いFWもいるけれど、間違いなく(久保)タツがナンバー1ですよ。 パスを出すほうからすれば、あいつを見ているとイメージがどんどん膨らんでくる。コンビネーションなんて、練習でタツをしっかりと見ていれば自然とできるものなんだ。代表でも、もちろんやれる」 元韓国代表DFのホン・ミョンボは久保と何度も1対1で対峙した韓国史上に残る名リベロ。その彼が日本で最も怖い選手として挙げたのが、久保竜彦だ。 また、かつてヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)で指揮をとり、桐蔭学園高校で山田卓也や米山篤志など多くの日本代表選手を育て上げた李国秀監督は、「Jリーグで監督をやっている人間なら、誰もが久保竜彦の恐ろしさが身に染みている。 代表で使わないなんて、もったいない」と語った。 おそらく久保の凄みを理解したのは、マスメディアが最も遅かった。彼らがドラゴンを「日本を代表するFW」と認識するのは、2003年に広島から横浜FMに移籍し、16得点を決めて優勝に大きく貢献した時だろう。 だが、残念ながらその時はもう、遅かった。久保の全盛期は明らかに広島時代。横浜FM移籍の初年度こそ大爆発したが、その後は膝や腰に慢性的な故障を抱え、1年間を通してまともな活躍はできなくなっていた。 その最中でも、2004年にはチェコやハンガリー、アイスランドなど欧州勢を相手にゴールを決めていたのだから、万全な状態で彼がプレーできていれば、果たしてどういう状況になっていたか。「成功を掴むか工場で働くか」 まっさらな目で久保竜彦のプレーを見ていれば、その凄みは誰にでもわかる。 広島時代、初めてスタジアムを訪れたというおばあちゃんが、久保が豪快にシュートを打ち、そして外したシーンを見て、「すごい、すごい」と大きな拍手を送っていた。 彼女がサッカーを見て拍手をしたシーンは、その時だけ。誰にでもわかりやすい「凄み」を彼は持っていたのだが、 「サッカーに詳しい」と言われていた識者ほど、久保竜彦のような「アウト・オブ・スタンダード」(エディ・トムソン元広島監督)を認めようとしなかった。 彼らが注目したのは、アンダー年代から活躍していた柳沢敦であり、高原直泰であり、あるいはフィリップ・トルシエ監督が抜擢した運動量豊富な鈴木隆行だった。
本来であるならば、彼は2002年ワールドカップで主役になるべき人材であった。 2004年から腰痛や膝の痛みが激化し、時に歩くこともままならないような状態になってしまう。 2006年、あれほど期待をかけたジーコ監督が久保のワールドカップ招集を見送ったのも、致し方のない判断だった。 ジーコが久保にこだわった理由は、彼だけが単独で欧州や南米の守備陣を破壊しうる人材だったからだろう。 中盤でのコンビネーションは研究されてしまうが、破壊的なFWはなかなか止められない。 1982年、ジーコが主役となった「黄金のカルテッド」のブラジルにしても、ロッシというイタリア人ストライカー一人に、夢を破壊された 。2002年ワールドカップでブラジルが戴冠できたのも、ロナウドという爆発的なFWの存在抜きにして語れない。 世界を驚かせるためには、世界を震撼させるには、周りがお膳立てをしなくてもゴールできる強烈なストライカーが必要だ。 そして日本には、そういう人材が決定的に足りない。多くのFWは、チームのために戦うし、頑張るし、周りを助けようと努力する。 しかし久保は、周りが助けたくなる選手なのである。サポートすればするほど、結果を出してくれる。その違いは大きい。 2002年のワールドカップで日本代表を牽引したトルシエの限界は、久保竜彦のような破天荒な人材を最終的に採用しなかったことだと筆者は考えている。 久保はエリートではない。アンダー年代の代表どころか、地域トレセンの代表にも入ったことはない。 筑陽学園高校時代もスカウトの注目を集めることなく、吉浦茂和監督が旧知の中村重和・広島スカウト(当時)に「面白い素材がいるから見てやってくれ」と問い合わせたことによってプロ入りの道が拓けた。 しかもその時、本命と目されていたのは同学年の他の選手であり、久保のテストは付録のようなものだった。 そういう環境で育ってきた若者だったから、プロに必要な自己管理だったり、サッカーに集中することの大切さだったり、技術や戦術、肉体以外のところでの重要性を教え込まれていなかった。 練習が終わると肉体のケアをすることなく、筋トレをすることもなく帰宅。繁華街に直行し、浴びるように酒を飲んだ。 行きつけの寿司屋で泥酔し、そのまま泊まってしまうこともしばしば。時に、その寿司屋の主人に「タツ、いい加減にしろっ」と一喝されるほど、生活は乱れた。 トレーニングでも、少しでも自分の思い通りにいかないとイライラする。やる気もなくなり、いい加減なプレーしかできなくなる。 それでも突出した能力であるがゆえに、プレーレベルは抜きん出ていた。だが、見るべき人はいつも見ている。 ピッチで少しでもゆるむと、後ろから森保一の「タツ、起きとるんか」という厳しい声が飛ぶ。上村健一からも「シャキッとしろ」と叱責される。久保竜は史上最高のFWだと今でも思う 残してきた結果だけ見れば岡崎がずば抜けてるんだけど
>>8 > 久保竜は史上最高のFWだと今でも思う えっ?
> 残してきた結果だけ見れば岡崎がずば抜けてるんだけど ええっ?マリノス時代に観戦した時の競り合いの時のあの跳躍力が忘れられない
>>46 他の選手が頭で競ってるボールを胸トラップしたのを見てビビったわ
過大評価 佐藤寿人や大久保嘉人のが遥かに上
>>47 久保:32試合11得点 大久保:60試合6得点 佐藤寿人:31試合4得点
釜本以外で唯一一人で点が取れるFWだった
>>59 釜本って杉山ありきじゃないのか 個人で突破するって印象ない
ごくたまにスーパーゴールを決めるせいで最も過大評価されたサッカー選手の一人。 怪我なくシーズンを過ごしてもJ1で15ゴールがやっとこさの、並の一流。 同時期なら高原の方があらゆる点でFWとして格上
怪我がちだったからこそ夢を見てる奴が多いのよね>>67 小野はそうだか、久保竜は過大評価とはいえない